邪馬台国はどこにあったか。
畿内説、九州説、そして最近では四国説までありまし、細かくいったら色々ありますね!
僕は、ちょっと他の人違う見方をして楽しもう!って趣旨です。
色々な学者さんで間違いないのは、対馬から壱岐。そして北部九州のどこか。
ここまでは誰も反論しないかと思います。
魏志倭人伝などに距離や方向が書かれてますが、ちょっと考えてみて欲しいのですが、どの計測でも今の地図で計測してる気がします。
縄文時代や弥生時代では地形が違ったはずです。
弥生時代の海岸は、以下のように考えられるようです。
- 博多湾周辺では現在より3~4km内陸まで海が入り込んでいた(板付遺跡の北側が海)。
- 有明海は佐賀市中心部付近まで湾入していた。
- 島原半島は一部が「島化」し、諫早周辺は低湿地または入江だった。
- 長崎県西岸部ではリアス海岸に海進が及んでいた。
正確ではありませんが

だいぶこんな感じのはずです。
糸島の上部はほぼ「島」ですね。地名も昔は、「しま」という地域と「いと」という地域が合併して糸島となったと聞いたことあります。
有明海から佐賀・久留米方面は、ほぼ海です。
吉野ケ里遺跡も海からそう離れていない位置になりますね。
もっと内陸まで海が繋がってて、博多湾と繋がってたようなことを言われる方も居られるようですが、ボーリング調査ではそのような証拠は見つかっていないそうです。
海が内陸まで繋がり、そこから大きな川があったとしたら・・・。
そういう妄想を膨らませ、点々とする遺跡とともに眺めるのも楽しいかなと思います。
さて、邪馬台国はどこにあったか。
それは「分からない」です(笑)
「それじゃダメじゃないか!君の考えを聞かせてくれたまえ!」
と言われる方もいるかもしれませんが、僕は分からないから楽しいし色々な可能性が見えてくると思います。
僕は、神話も好きなので、そういう方面からも古代日本を探求していきたいと思っています。